大和平野の状況・土地改良区の歴史

大和平野の状況

奈良県の北西部に位置する奈良盆地は、奈良県では一般に大和平野と呼ばれ、標高40~80mの平坦な地形が東西約16km、南北約30km、面積にして約2万haの耕地が広がっており、本県の農業及び政治・経済・文化の中心となっている。
年間平均気温は約14.3℃、降雨量は約1,300~1,400mmと全国的にも最も雨量の少ない地域である。大和平野に周囲から流れ込む河川は、中心部で合流し大和川となって大阪湾に注いでいる。

分水計画実施前の農業水利

本県の主要な水田地帯である大和平野は、年間降水量が極めて少なく、しかも大和平野を流れる大和川は、盆地部(約300平方キロメートル)に比較して流域が極めて小さい(約694平方キロメートル)ため、恒常的な用水不足に悩まされていた。このため大和平野では古代からため池の構築が盛んに行なわれ、その数は数千個にも及んでいる。また、地下水の利用も積極的に行なわれたほか、営農面でも田畑転換により用水の節約が企てられるなど種々の工夫がなされた。しかしながらその効果にも限界があり、用水不足を根本的に解消するには至らなかった。そこで、水量の豊富な吉野川(紀の川)からの分水を行なうことが、江戸時代からの夢であり悲願であった。

吉野川分水の主な試み

年代 事例
元禄年間
(1688~1703)
名柄村(現在の御所市)の庄屋高橋佐助が吉野川の分水を重阪(御所市)に引水する計画を考える。
寛政10年
(1798)
大和代官角倉玄匡が吉野川分水の計画をたてるための実施に踏査し関係住民の意向を聴取する。
安政5~6年
(1858~1859)
下渕村の住民の間で「吉野川分水計画」が検討される。
文久2年
(1862)
五条の乾十郎らが吉野川分水計画を樹立し、中川の官に口上書を提出する。
明治3年
(1870)
春日大社の神官辰市祐興が吉野川分水を計画する。
摂津国鍛冶屋村の植田勘治郎が建白書を提出する。
明治16年
(1883)

添上郡大安寺村の井村正作らが「吉野川分水請願書」を大阪府知事に提出する。

明治28年
(1895)
奈良県知事古沢滋が吉野川分水問題を検討し県会で諮問する。
大正4年
(1915)
奈良県が吉野川分水計画の基本調査を行うが、下流和歌山県側の反対にあい計画を中止する。
昭和4年
(1929)
農林省と奈良県が「吉野川分水計画概要」を作成するも実現せず。

吉野川分水事業

吉野川(紀の川)は、我が国でも最も雨量の多い本県南東部、三重県との県境付近の大台ヶ原にその源を発し、本県のほぼ中央を東西に流れ、本県ではその水は殆ど利用されることなく和歌山県へと流下していた。一方、下流の和歌山県では「母なる紀の川」の水として非常に大切に利用されて吉野川分水計画も理解を得ることが難しく、実現には至らなかった。しかし、和歌山県側もかんばつ時には紀の川の流量が減少するため取水が困難となり水不足を生じていた。
このような中で、ようやく戦後になって荒廃した国土の復興計画の一環として十津川・紀の川総合開発計画が持ち上がり、紀の川流域に大迫・津風呂・山田ダムの3ダムを、十津川流域(新宮川水系熊野川)に猿谷ダムを建設して、両県の農業用水・水道用水を確保する他、発電を行なうという総合開発計画の中で吉野川分水は実現する運びとなった。

吉野川分水事業の経緯

年月 項目
昭和22年12月 十津川・吉野川総合開発調査協議会設置
経済安定本部・農林・運輸・内務各省、奈良県、和歌山県、学識経験者、日本発電(株)により総合開発計画のための調査方針の決定
昭和24年8月 奈良平野利水事業期成同盟会発足
昭和24年10月 十津川・紀の川総合開発協議会設立
利水基本方式、事業実施順位につき奈良・和歌山両県の了解成立
昭和26年6月 十津川・紀の川総合開発事業協定成立

昭和26年9月

十津川・紀の川総合開発計画案の修正
昭和26年10月 第1次十津川・紀の川総合開発実施協議会で「十津川・紀の川総合開発計画」の承認
昭和26年12月 奈良・和歌山両県の負担割合の決定 奈良県69.58% 和歌山県30.42%(共同事業)
昭和27年4月 国営十津川・紀の川土地改良事業計画確定 総合開発計画からと土地改良法に基づいて事業計画確定
昭和27年8月 猿谷ダム工事(旧建設省)起工式
昭和28年12月 大和平野導水幹線水路着工
昭和29年9月 津風呂ダム着工
昭和30年3月 大和平野土地改良区設立
昭和30年6月 県営大和平野土地改良事業計画確定
昭和31年7月 下渕試験分水開始 試験通水(0.16m3/s)で吉野川(紀の川)の水がはじめて、大和平野に分水される。
昭和32年6月 猿谷ダム竣工
昭和33年10月 国営十津川・紀の川土地改良事業第1回変更計画確定
大和平野特定土地改良事業計画確定(国営大和平野土地改良事業)工事の効果早期実現のため特別会計に移行
昭和36年6月 下渕分水協定(昭和36年~昭和40年まで)
昭和37年3月 津風呂ダム竣工
昭和38年4月 大迫ダム着工
昭和40年3月 国営十津川・紀の川土地改良事業第2回変更計画確定
大和平野特定土地改良事業第1回変更計画確定(国営大和平野土地改良事業)
昭和47年2月 下渕頭首工着工
昭和48年9月 大迫ダム竣工
昭和49年3月 下渕頭首工竣工・大和平野東西幹線水路竣工
昭和49年6月 十津川・紀の川農業水利の河川法第23条(流水占用権)建設大臣許可
かんがい期間
6/15~9/15(奈良県側) 下渕頭首工 最大9.91m3/s
6/10~9/15(和歌山県側)
昭和53年4月 暫定直轄管理開始 農林水産省による大迫ダム・津風呂ダム・下渕頭首工の基幹施設管理
昭和53年11月 直轄管理事業の負担協定締結 奈良県39.4% 和歌山県37.0% 奈良県水道23.6%
昭和58年9月 国営十津川・紀の川土地改良事業第3回変更計画確定
国営大和平野土地改良事業第2回変更計画確定
国営十津川・紀の川土地改良事業(維持管理)計画確定
昭和60年3月 国営十津川・紀の川土地改良事業完了
昭和62年3月 県営大和平野土地改良事業完了
平成元年1月 十津川・紀の川農業水利の水利権更新にかかる河川法第95条協議成立
年間水利権の確定 
下渕取水量 夏期 9.91m3/s  冬期 2.91m3/s
平成元年4月 南近畿土地改良調査管理事務所発足
平成6年3月 大迫ダム発電に係る「大迫ダム共有持分付与協定」並びに「共有物件の共同管理協定」成立
平成8年6月 大迫ダム発電所の完成
最大使用量 15m3/s  有効落差 60m
最大出力 7,400kw  年間発生電力 26,530kw
平成11年2月 国営第二十津川紀の川土地改良事業(農業用用排水)に要する費用の負担比率に関する協定締結
奈良県 63.0%  和歌山県 37.0%
平成12年5月 第二十津川紀の川農業水利事業建設所開設
平成12年9月 国営第二十津川紀の川土地改良事業(農業用用排水)計画確定
平成13年10月 国営大和紀伊平野土地改良事業(国営農業用水再編対策事業)に関する協定締結
平成14年3月 大和紀伊平野農業水利事業建設所開設(平成15年3月まで)
平成14年9月
国営大和紀伊平野土地改良事業(国営農業用水再編対策事業)計画確定
平成15年4月 大和紀伊平野農業水利事務所開設
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